2011年5月31日火曜日

気仙沼復興会議

 
 
第4回気仙沼復興会議 

南町夢通り商店街の商店主のみなさんは、

避難所のなかでミーティングを繰り返し、

あと2カ月で仮設店舗で
の営業を再開できるまでになりました。
熱い思いは伝染する!

僕自身も熱くなりますね。
実行委員の熱い思いはラジオの電波に乗せて届けます。

FM仙台 繋ごう明日へ で聴いてくださいね。

2011年5月30日月曜日

東日本大震災被災地応援ラジオ「繋ごう明日へ」6月4日ON AIR


震災支援活動の「繋ぎ隊プロジェクト」を支える活動として
FM仙台で番組を開始することになりました。
「繋ごう明日へ」
Date fm 毎週土曜日 9:00~9:30 6月4日スタートです

その支援活動に注目が集まり、ラジオの取材で紹介されました。
★5月28日(土) FM仙台 名護ひと美のLove for... 毎週土曜11:30~12:00
★5月30日(月) FM仙台 中西哲男のクロノス毎週月曜朝6:00~7:30 全国放送です!

しかも、radikoの復興支援プロジェクトに東北のラジオ局が載っています



全国の皆さんが リアルタイムで聴けますので
ぜひ、感想など番組あてにメールを送ってください。


第1回目のゲストは、
MIURA  B.C.支援隊の三浦豪太さんです。
お楽しみに!

2011年5月5日木曜日

RQ活動報告6  5月5日(木)

430日の夜に入り、無我夢中でやってきたが、いよいよ最終日。
帰りの渋滞が心配なので、午前中までの作業で切り上げて、帰ることに。

タイミング良く、初日から作業していた鮪立のお宅も午前で終りそう。
最後の、ドロ出しで作業終了のハズがトラブル発生。
泥やら、瓦礫やらを集積していた土地の方からクレームが。。。
もちろん、依頼主の指示で置いていたのだが、

やはり双方の確認をしっかり取らなければならなかった。深く反省。
ここで、帰ったらただの「ボランティア公害」になると思い。
チームメンバー全員で、その方の手伝いをし、深く謝罪。

その方から「手伝ってくれたから!」と言って、

アイスやら、果物やらを差し入れをしてくれた。
本当に東北の人は温かい。本当に。
その後、引き継ぎを行い、

しっかり渋滞に巻き込まれ、10時間のドライブを楽しみ、

東京へ帰宅しました。

報告 にっき

2011年5月4日水曜日

RQ活動報告5  5月4日(水)

この日も朝から、前日のお宅へと向かう為に準備。

前日のミーティングで、登米の東北本部から10名の応援が来る事が判明!
チームが一気に12人に!

班を2つに分けて、以前のニーズ調査で確認された、2つ隣のお宅にも向かう。
片方はひたすら、家の清掃、もう片方は裏庭の土砂崩れの補修作業!
みるみるうちに片付いた。

今日は班同士、現地の方との調整が多く、あまり体を動かさなかった。と言っても
サボってた訳では有りませんよ!

また、この日から唐桑出身のご兄弟がボランティアに参加している。
1人1人の力は小さくても、その力が結集した時には大きな事が出来る!

報告 ニッキ 

2011年5月3日火曜日

5月3日 活動報告

53日(火)天気:曇り
午前;浦地区のお宅の片付けお手伝い
午後;送迎他、いろいろ
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昨日は暴風のために作業中止となったため、今日はどこの現場も早めに出発。
片づけお手伝いの依頼のあった浦地区へ作業に向かった。

実はこのお宅、初日(51日)に訪問した際、
「なんだ、ボランティアか。ふーん大変だねぇ・・」と・・お父さん。
しばしの沈黙の後、「ここは俺の実家なんだよね。」と少しずつ話し始めてくれた。

会話が進むなかで、「1人では大変ですから、力仕事も一緒にお手伝いできますよ。」
「じゃあ、とりあえず、この先の弟の家のほうを見てくれないか」(ということで、弟さん宅へ向かう)

「この部屋の中に食器棚があって、泥だらけなんだよね。あと、この畳も重くて、あっ、それからさ・・・。」
(“きっとまだまだ出てくるだろうな~”ということは察知!)
「わかりました!お手伝いしに明日来ますね!」とお約束をして今日に至ったわけなのだ。

今日はモンゴル出身の3名を含めたボランティアの5名で作業開始。インターナショナルだ。
モンゴル語?を教えてもらった。(2つしか覚えられなかったけど…)
「センベンノ」(こんにちは)
「バヤレア」(ありがとう)

作業の中、みんなの知恵が集まった。水を含んだピアノは大人6人でも動かないのだ。ということで、頭を使う。

漁師用具のロープを巻いてひっぱったがびくともしない。そこで、てこの原理?を利用し、ピアノを傾け、足のあいだに流木を二本はさむ。そしてロープをひく。すると・・・。
ピアノが流木(丸太)の上を転がるように動いていく。いやー、本当に!ホントウにスゴイと思った!みんなの力が合わさってピアノが移動できたときには万歳&拍手だった!

昼前に事務所から連絡が入り、午後からの別の現場への送迎ということで、気仙沼市街へ。その帰り道、4月に新聞を届けた漁師さんと偶然会うことができた。漁師ガッパ姿を見ることが出来たのが嬉しかったなぁ。
そしてちょっと寄り道をしてしまった…。

報告 上野

2011年5月2日月曜日

RQ活動報告3  5月2日(月)

今日も鮪立地区に行く予定だったが
宮城県全域に暴風警報が出るくらいの強風。
ミーティング後、調査に行くも、屋根の破片等瓦礫が飛び回るくらいの状況。
命の危険を感じる。
本部の判断により、活動は中止。
にも関わらず、本日新たに20名近いボランティアが現地に訪れる。
受け入れ体制改善の為の仕組み作りに打ち込む。
ひたすらノートパソコンと向き合う。
ストレスなくボランティアさんが活動出来る状況を整えるのも大事な活動と痛感。
この新システムで明日以降の作業効率がグッと変わるはず。

報告 にっき

2011年5月1日日曜日

5月1日活動報告

51日(日) 天気;晴れ
仙台から唐桑半島へ移動
終日:デリバリー(物資運搬)&情報収集チームで活動
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仙台を朝4時半に出発。三陸道を通り、途中、登米に向かう鶴さん、庄ちゃんと別れて唐桑半島へ向かう。

7時半にRQ唐桑VC到着。登米本部にて前泊していたニッキと合流。朝食後の打ち合わせ中の、ボランティアのみなさんと久しぶりの再会。GWに入り、登米から日帰りで来る人員とチームを組み作業現場に出動する。

が・・・上野&あっこさんは、情報収集チームに。ここ数日は忙しく、緊急のものを除きデリバリーもできなかったとのことなのでミラには物資が満載。

まずは、半島北部から。岩手県との県境の大沢地区は津波の被害が甚大。電気・水道・ガスすべての復旧が回復していない。全壊家屋の中で残ったお宅の片づけをするおじいちゃん、おばあちゃん宅を訪問。

はじめは挨拶から。今日は洗濯日和、沢からの水で久しぶりの洗濯だとのこと。
日向ぼっこをしながら、だんだんと津波が押し寄せた際の様子、
「この山(自宅の裏山)をみんなで慌てて登ってね・・そのあとは、近所の皆がこの家に集まって・・・」
必死に話してくれる。キャップを得意げに見せてくれたおじいちゃんは漁師さんだそう。

そこに1台の車が。(おそらくボランティアの)保健師さん:「体調悪くないですか。血圧計は必要ですか。何かあれば言ってください」
おばあちゃん:「いえ、大丈夫ですよ」
たしかに・・・。あのように言われたら、「大丈夫です」意外に返す言葉がない。

個人のお宅を訪問する中には、「通帳が家の前に流れ着いてきたんだけど、どうしよう」なんて相談も。
幸い、ご近所さんのものと判明。ご本人は県外の親戚宅へ避難中ということもわかり、避難所にいるご親戚に預け、一件落着。

その後は、物資の配達も含め、何軒かのお宅と避難所を回り、半島東側をほぼ一周して海岸亭に戻る。

物資配達・情報収集チームだけれど、そこに届けるのはモノだけではない。被災者の方とお話をする中には、メッセージがある。それらを汲み取って今できる支援を考えて、行動に移す、まずは一緒に話をすることそのものがこの地では大切な時間になる気がした。

報告 上野